芸術の評価って難しいですね
純粋に評価するなら 出来上がった作品が 見ている人
聞いている人にどれだけ感動を与えたかによって評価されるべきです
誰が描こうが 誰が演奏しようが そんなの関係ない です
が しかし世間での評価はそうではありません
誰が作ったとか どんないきさつがあったのかとか また演出の仕方により
評価はどんどん変わります 芸術とはそれも含めての芸術なのでしょうか?
(職人は名を残さなくてもいい 品物を残せばいいのでは?)
純粋に品物だけで評価されるのでしょうか?
美とは何なのでしょう??
ここから森さんの世界 ↓
「音楽家としての評価に全盲かどうかは関係ありません。これか
らは一人のピアニストとして聴いてほしい」。そう語るのは、先日、
第13回バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した辻井
伸行さんです。彼は「全盲のピアニスト」と呼ばれることに内心抵
抗があったと言います。
確かにマスコミの報道では、まず「全盲の…」あるいは「盲目の
…」という冠が躍っていました。目が見えないというハンディを負
いながら国際的なピアノコンクールで優勝するなんてすごいね、と
いうことなのでしょう。そこに「全盲なのに偉いね」という考えが
含まれているように思ってしまうのは、少しヘソ曲がりでしょうか?
「全盲なのに偉い」という考えは、ちょっと「上から目線」なの
ではないかと思うのです。とにかく、バン・クライバーン国際ピア
ノコンクールという1962年の開始以来、原則4年に1度しか開
催されないコンクールで優勝することがすごいのであって、全盲は
そのあとについてくるものではないか、と思うのです。
ぼくは彼の「全盲」ということ以上に、「音楽を心底楽しもう、
聴いてくださる人に楽しんでもらおう」という姿勢に感動していま
す。その想いが彼がつくりだす音のひとつひとつに込められている
からこそ、聴く人に感動を伝えることができるのだろう、と。
音楽の世界に乗り越えられない障害はないと辻井さんは言います。
他の演奏者が楽譜を見ながらピアノを弾くのに対して、彼は全曲を
暗譜して弾きます。つまり、すべてを自分の中に取り込むことによ
り、より深く曲を理解することができるのでしょう。これは、ある
意味において、目が見えないことのメリットかもしれませんが。つ
まりは、障害をいかにメリットとして活かすか、ということなので
しょう。きっと、彼には「全盲者」という障害者意識が薄いように
思うのです。音楽を愛するのに、そんな意識はあまり関係ない、と。
「盲目のピアニスト」から「感動のピアニスト」へ。辻井さんの
「冠」がそう変化することを期待して止みません。いや、彼の意識
はもうその段階に到達しているはずです。それを受け止めるぼくた
ちの意識がどこまで彼についていけるのか。それを問われているよ
うな気がします。
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by ワンタロー